立ち往生

基本的にネタバレに配慮していないのでご注意ください。

「Reason!!」がめちゃくちゃいい曲だから聴いてほしい

「Reason!!」オリコンデイリー1位おめでとうございます。歴史に語り継がれるべき名盤なのでまだ聴いていない方は今すぐ聴いてください。聴かないのは人生の損失です。どうしてかというと、この曲は「すべての人に送る等身大の決意とエール」だからです。

THE IDOLM@STER SideM ANIMATION PROJECT 01 Reason!!

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自分しかできないことをやればいいだけ

この曲の根底に流れる「自分の世界を変えていけるのは自分だけだ」という、ある種の諦念に似た感覚がわたしはとても好きだ。
いつも自分の物差しでしか物事を計れないわたしたちは「他人が変わってくれるのではないか」とつい期待をしてしまう。世界がいつか都合のいいように姿を変えて、自分を受け入れてくれるのではないかと。

だけどそんなことは起こらない。他人はどこまでいっても他人だし、世界も母親の胎内みたいに形を変えてくれはしない。自分に変えられるのは自分だけなのだ。

歌い出しで「幕を開けよう」と言っているのが象徴的だなと思う。幕は「上がる」のではない。自分のステージの幕は自分で「開ける」しかない。
幕の向こうに何が待っているのかはわからないけれど、足がすくんでも踏み出すことで「夢が世界を変えていく」。世界は変わらないとしても、自分が変わることで世界を変えていけるのだということ。
沸き上がってくるような力強さが歌詞のひとつひとつに漲っていて、知らず顔が上向きになる気がする。

最初は「眩しい煌めきが待ってる」だったものが、次は「眩しい煌めきになるのさ」に変わっているところもにくい。
夢を目指して走り続ける姿が、後に続く誰かの光になるのだ。清々しくて静かで優しい決意。Pが見送るアイドルの後ろ姿を思うと泣く。言葉の選び方がにくい。にくいよぅ…。

 

ひとりじゃ届かなくたって

「Reason!!」の魅力を語る時、この底抜けに前向きなパワーに色濃く滲む、挫折や悲しみの色について外すことはできない。

まず「絶対という言葉を信じられる」という歌詞が、こんなフレーズをどうやって思いつくんだろうというくらいすごくて、「絶対」なんてものはこの世にはない、と骨身に染みていないと言えない言葉なんですよ。

どんなものも、それこそ形あるものはもちろん、形のない友情とか信頼とか、命とか、そういうものもいずれ必ず失われる、絶対なんて確かなものは存在しないと知っている。嫌になるほどわかっているから、わざわざ口にするのだ。仲間といることで「信じられる」と。
この胸を掴まれるような切なさと輝かしさ。わたしの興奮が伝わっているでしょうか。伝わっていなくても進めますよ。ついてきてね。

切なげな曲調で、それだけで胸が苦しくなるCメロで語られる言葉がまた良さがとんでもなくて、ひとりじゃ届かないときに「瞳が教えてくれる」のは「諦めなかった勇気の在処」なんです。

ひとりきりで立っているなら、誰の目も見えないはず。隣りに仲間がいるからその瞳が見える。
そして仲間が語ってくれるのは、夢の追いかけ方でも目的地でもない、自分の中に存在する勇気のことなんです。かつて壁にぶつかって、だめになりかけて、それでも諦めなかった自分が頑なに持っているはずの勇気がそこにあるだろうと。何をやっているんだ、立ち上がれと。

互いへの揺るぎない信頼。立ち上がれると知っているから叱咤するのです。ウワァ。なんなのこれ。Pの涙腺は実のとこもうギリギリ限界である。こんなん聴かせられるなんて聞いてなかった。聞いて なかった。

 

走り続ける覚悟

願いのその先、輝きの向こう側へ、315プロのアイドルたちは走り続けていく。ゴールを据えない疾走は、生きる限り戦い続ける覚悟と同義で、それはあまりにもつらい選択でもあると思う。

それでも彼らは進み続けることを選んだわけで、内心つらくて立ち止まりたくなること、うつむいてしまいそうな瞬間があることをわたしたちは知っているから、その選択が余計に尊く、愛おしくてたまらない気持ちになる。ずっとずっとその先を一緒に見つめていけたら、最後の輝きの一粒まで見逃さず目に焼き付けられたら、と思う。

大サビの涙腺ボコり具合が本当に勘弁してくれという感じなのだけど、

つながってること確かめ合うための言葉
We are 315 そうだろ?

これさ~~~~~~松井さーーーーん!!!! え~~もう無理!! むり!!

仲間が隣にいること、夢に伸ばした手がひとつじゃないことをわかっているから、知っているからこそ、みんな、ひとりで立っているのだ。ひとりだけど、ひとりじゃないから、地面を踏みしめた時、幕を開ける寸前、一歩目を踏み出すその時に、ひとりじゃないと口に出して確かめたくなるのだ。
この、どこまでも人間くさい、不器用で不格好でどうしようもなくカッコいい、このひとたちがわたしたちのアイドルなんだよと全世界に言いたい。迷って悩んで傷だらけでもいいんだよ。最高だろ。

「なあ、そうだろ?」

この天道輝の問いかけの後、「きっとかなえよう」「一緒に」、一緒に、って、あの、さ、桜庭さん、桜庭薫さんと柏木翼くんが「一緒に」って、ウワアもうハァ~~~現実がDRAMATICなNONFICTION。この世はとんでもないことが起こりますね。有り体に言えば生きていてよかったです。

 

ありのままの自分で勝負を続けるということ

アイドルマスター」のアニメを見たとき、すごく素敵だなと思ったのは、みなそれぞれの強みも弱点もそのまま、丸ごと受け入れて進んでいくんだなということだった。

たとえば、やよいちゃんは急にリレーで足が速くなったりはしない。リレーでちゃんとどんどん追い抜かされる。ダンスでも失敗続きで足を引っ張るような描写もある。けれど、兄弟思いの優しさとか責任感の強さとか、人との接し方の細やかさとか、あふれんばかりの前向きなパワーとか、やよいちゃんにしかない魅力も存分に描かれる(アニメの話ですみません)。

彼女は彼女なりにもちろん努力する。けれど、やよいちゃんは体力が他の子よりちょっとないままだったり、ダンスでは特訓が必要なまま話は続く。わたしはこういうところが本当にいいなと思う。

みんな誰でも、自分よりももっと素敵でカッコよくてかわいい、魅力にあふれた誰かになりたい。あの人はいいな、それに比べて自分は、と劣等感に苛まれたりしながら、それでもなんとか自尊心を保って生きている。
アイマスのアイドルたちもきっと、そうなのだ。あんなにキラキラ輝いているのに、夢に向かってまっすぐに進んでいるのに、いいところもあればダメなところもある自分自身のままで勝負を挑んでいくのだ。

わたしたちも結局、他の誰かにはなれないから、自分で自分を生きていくしかない。自分を少しずつ変えたり、進んだり戻ったりしながら歩いていくしかない。
アイドルたちの言葉がこんなに胸に響くのは、たぶん、彼らもどこか、わたしたちと同じだからだ。同じだから、彼らの歌はわたしたちの背中を優しく強く押してくれるんじゃないかと思う。

315プロの、アイドルマスターのアイドルたちに出会えて本当によかった。生まれてきてくれてありがとうという気持ち。

彼らがわたしたちの顔を上げさせてくれるほどの力は、わたしにはまだない。けれど、彼らの背中を押してやれるように、今日も踏ん張って生きていきたいな。しんどいこともたくさんたくさんあるけれど、「そうだろ?」に「そうだよ」と返しつづけるために。