立ち往生

基本的にネタバレに配慮していないのでご注意ください。

「LOVE×LETTERS Vol.9」全通してきたネタバレ感想

「LOVE×LETTERS Vol.9」、全公演見てきました。朗読劇には初めて触れたのだけど、こんな凄まじい演技を目の当たりにできて幸運だと、数日経った今でも思う。お尻は4つに割れそうだったけど、行ってよかったです。

 

感想を書いていきますが、ネタバレしかないので「未見だしこれから見るかも」という方はご注意ください。多分今後も同じシナリオで続いていくものと思われます。ネタバレなしで見た方が絶対にいいです。あとシナリオや演出に関して、口うるさいド素人がいろいろ注文をつけているので、そういうのが苦手な方、わたしは大満足だったわうるせえわって方は離脱をおすすめします。お互い干渉せず楽しくオタク活動しましょう。

 

会場は、白い壁に囲まれた無機質な空間で、余計な情報なしに声の演技にどっぷり浸かれるいい場所でしたよ! 東京ってこういうギャラリーいっぱいあるんだろうな~

 

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こんな素敵な建物が、住宅街の中に突然出現したからびっくりした(会場です)

 

以下に感想です。長いよ。

 

 

 

 

モラトリアムに揺蕩っていたい少年を見つめるとき、わたしたちは永遠なんて存在しないことを知っている。時間が止まらないことを本人たちも知っているのだと、演者の息遣いからわたしたちも気づく。だから、バカンスの終わりを迎えた少年たちの曖昧さ、戸惑い、抵抗感、諦め、なんなら希望とか、そういう人間らしい揺らぎが目の前にさらけ出されることに、心が震える。その情景を見て、わたしたちは舞台上にキャラクターが生きていることを感じ取るような気がする。

 

仲村さんと村上さんの演技は素晴らしかった。本当に、本当に凄かった。

それぞれ、相手とは全く違うものを見せてやる、自分の演技はこうだ、という湧き上がる闘志のような熱を感じたし、そのとおりに、彼らの中から引きずり出されてくるキャラクターは全く違って、役を演じるから役者なんだと見せつけられる思いでいっぱいだった。

こちらの胸を抉ってくるような村上さんの泣きの演技、本人として喋っているかように聞こえる台詞の澱みのなさ。対して、ひとつの台詞に何かを隠している、本音を我慢していることが透けて見える仲村さんの演技は、心に引っかかっていつまでも消えていかないざらつきがあった。その表情や言葉の温度まで、何度も反芻したくなるような不思議な魅力。

 

同じ役、同じ台詞でもおもしろいほどに違う。この台詞はこっちのほうが好き、でもここはこの人はこう解釈したんだ、これはさっきのほうが好きだな、と、ダブルキャストともまた違う楽しみ方ができる舞台だった。

 

仲村さんの台詞でいちばん好きなのは「そいつはMか? 最悪だな」だ。仲村さん演じる大地が、この台詞で海斗を責めながら、同じくらい自分にも憤っていることが伝わってくる、抑えのきいた、でも堪えきれないやるせなさが滲み出た、たまらない演技だった。役者さんはひとつの台詞でこんなにもいろんな感情を伝えられるのかと思った。

同じ台詞を言う村上さんは、自分へのやるせなさよりも、本音を隠す海斗への苛立ちを強めに出していて、でもその割合も回ごとに微妙に変えていて、同じことは絶対にやらないという意志を感じて震えた。

 

逆に「お前の初恋っていつ? 相手は美空か?」の言い方は、わたしは村上さんのほうが好みで、村上さんの海斗は、逃げ道を与えないという決意のようなものを感じる。訊いたら最後、もう大地も自分も元には戻れないのだとわかっているというか、心地よい執行猶予期間を自分の手で終える決意をしている、というか。

仲村さんの海斗には、まだ少し余地がある、いつか終わることはわかっているけどまだ直視したくないという迷いが強いように感じた。優しくて弱くて、ちょっとだけずるい海斗の問いかけも、もちろんとても好きだ。

 

あとは、村上さんの「泣きながら笑う」演技、聞き手をひきずりこむような叫び、仲村さんの「本音を隠して笑う」演技、どこかズレていく言葉の重ね方。上げていったらきりがないくらいで、息をするのも忘れて見入ってしまった。

どんどん勝手をつかんで織り込まれるアドリブと、グッと観客をシリアスに引き寄せる空気感、トラブルにも一切雰囲気を崩さずに対応してしまったり、どれもこれも生で味わう極上の体験だった。もっと舞台に出てほしい…。



で、これだけ演技が良かったので、その、他のいろいろな部分がとてもとても気になってしまって、口うるさい素人オタクの戯言だという自覚は十二分にあるので叩かないでね。

 

日本語表現の違和感

言葉の表現を味わう朗読劇としては、言葉の使い方が気になりすぎてしまった…。そんな細かいところを気にせず大筋を楽しめる、賢い方々が大半だとわかってはいます。

 

でもさ、「静寂さに身を委ねて」は「静けさに身を委ねて」の方が自然じゃない? 「恋情」もそうだけど、モノローグとはいえ大地がこんな表現を使うかなあ。せめて「恋心」とか言いそうじゃない?

「胸をかきむしる痛み」も、「胸をかきむしられるような痛み」「胸をかき乱す辛さ」みたいな表現の方がしっくり来る気がする。「きみの甘い吐息と震える指を包み込むことを認めてほしい」もすごく違和感があって、認知してほしいということ? それとも正しいからOK! って美空に判断してほしいということ? どっちかというと気づかれたくはないニュアンスを感じるシーンだし、許してほしい、とかのほうが良くないか?

 

「美空の乗った小舟は海に出るのか大地にとどまるのか」に至っては比喩表現自体が破綻していて、美空はどっちつかずの状態だから、比喩とするなら大地にも海にもいない(どちらにも染まらない空にいる)わけで、この表現はおかしい気がする。「海辺を歩きながらすっかり覚えた物語を読み聞かせる」も、読んでない(諳んじている)んだから「読み聞かせる」じゃなくて「話して聞かせる」じゃろ…??

 

とまあ、割と全編を通してこんな感じで、細かい部分を気にしすぎていて自分でも気持ち悪いクソ野郎だなと自覚はしている。

 

演出が演技を殺してしまう

もう最大に「なんで!?」と思ったのが、第3回目の、海斗が「どうしてこの窓には鉄格子がはまってるんだ?」と問いかけるシーンで、この問いかけ方が、村上さんと仲村さんでは声色も声の大きさも全く違うし、今までの現実だと思っていた世界をひっくり返す、鳥肌がたつぐらい凄いシーンなんですけど、なんで、どうして、その問いかけの直後に大音量でBGMを入れちゃうのか。なんで背景に海の写真を大写しにしちゃうのか。なんで…なんで(エコー)

 

大音量BGMのおかげで、第3回(二日目)の村上さんの、悲痛さと諦めと驚きが混じった、息を呑む音の演技がよく聞こえなくてギャーッってなったし、Googleフォトから拾ってきたみたいな写真乱舞のおかげで「はいっここ混乱するとこですよ!」って言われているみたいで、言葉を選ばずに言うならもう台無しである。波の写真をザバンザバンと繰り出してこなくても、役者さん2人が声の抑揚で波を表現してくれているから…もっと役者の演技を信じてもいいのでは…?

 

スライドに映る高台の桜も、ソメイヨシノやら八重桜やらバラバラで、イメージ画像にしたって統一したほうがいいような気がするし、とにかく桜のよさげな写真をええ具合に映しとけやってことじゃないとは思うんですけど、やっぱり視覚情報ってとても強いですからね。あんまり余計なものを映さなくていいと思うんですけどどうですかね。沈黙や吐息ひとつも大事な演技ですよ。もっと演者に委ねたら、もっと凄くなるかも。

でも「朗読×映像のコラボレーション」と銘打たれているから、これはわたしの方が舞台の根本を理解していないだけなのかもしれない…。

スピーカーがけっこう不安定だったのと、台本が糸や糊の綴じじゃなくてリングファイルで、紙をめくるたびにギチギチと金属と紙がこすれる音がしてしまうのも地味に気になった。

 

 

キャラクター設定がよくわからなさすぎて美空にヘイトがたまる

美空が家に来た時のことを海斗は覚えていて「ごはんを食べた後、そばに寄って手を握る」ことが意図的にひとりでできるレベルだから、2~3歳ですかね。となると、タイムカプセルを埋めた時、大地と海斗が9歳だから、美空は7歳、小学校2年生ですよ。あんな手紙が書けるか…?

 

大学に入学した2人に送る手紙も「有意義に過ごしているの?」とか、こんなおかんみたいな聞き方を女子高校生がするかよって感じだし、一人称も「美空」だったり「あたし」だったりブレまくりだし、こう、美空ちゃんの具体的な姿が自分の中に息づいてこないんですよね。

 

美空ちゃんって、大地と海斗の人生を最初から最後まで支配してしまう超重要なキャラクターで、2人の言動を理解するためには、たぶん「ああ、この子なら、人の心の中にどしんと住んでしまいそうだ」と聞き手が納得してしまう圧倒的な魅力が必要なんです。そこが見えないままだから、2人がなんでこんなに美空美空言ってんのか全くわからず、「なんなんこの女…」という気分にしかならない。いきなり「ごめんね、答えはまだ出せない」「飽きて帰ってくるのを待っていて」って言われても、ハァ???ってなってしまう。

 

ニューヨークへの旅立ちに関しても、アメリカに憧れる描写も、英語の勉強に励むそぶりも何も前振りがないから、あまりにも唐突でポカンとしてしまう。

美空ちゃんは結構田舎の方に住んでいるようだし、そんなに演劇に憧れるなら、まずは上京しようと考えるのが自然じゃないか? 東京でもロンドンでもなく何故ニューヨークなのか、に全く必然性がない。ウェストサイドストーリーを演って楽しくて憧れて渡米、ならまだなんとか飲み込めそうだけどシェークスピアだよ? どっかページ飛ばした?? ってなる。

 

第2回のアルツハイマー要素も急すぎて、そのネタを入れるならもっと序盤から伏線を張ったほうがいいように思う。あれだけ思い出話ばっかりしているんだから難しくないんじゃないかな…。ニューヨークも留学も若年性アルツハイマーも、手軽なワードや要素をちょっとつっこんだ、という感じに見えてしまって、失礼な言い方をするならあまりにも安易だなと思った。

 

キャラクター設定がよくわからんのは大地や海斗も同じで、まず認知症の家族が失踪したら、階段でグリコする前に捜索願出そうぜって感じだし、大学生にもなって「俺たちにできることは過去の約束を守ることだけだ」とか言われても…とがっくりしてしまうし、いきなり噴水で踊りだしたら風邪の心配するよりまず叱れよってツッコんじゃうし、美空が先にカプセルを掘り起こしたらいくらなんでも地面見ればわかるだろと思うし、ふたりが国内ストレート入学なら19歳のはずだけど堂々と飲酒していいんかい、海斗の性格なら一言咎めそうじゃない? と疑問だし、2人の頭がいいのか悪いのか最後までよくわからなかった。

 

結局自分の進路まで左右してしまった美空に再会して、自分たちは11年間忘れられなかった、けれど彼女は何もかも忘れてしまった状態で「初めまして」と挨拶を交わして、「あなた誰かに似ている」って言われたら、言葉に詰まりません…? そのまま2人で「空の色は何色ですか?」唱和、みたいにならなくないです? そこに胸の痛みはないのか? 悲しみと喜びが混じった感情はないのか? 大地にだけ言われて海斗は何も思わないの?

年相応の少年と、悲しいかな少し大人びざるを得なかった少年の、息づいている生々しさというか、本音で覆えない欲のような匂いがシナリオから全然伝わってこなくて、こんな聖人君子いるかよ……という気分になった。

 

マルチエンド…なのか…?

同じフレーズを、違う回では全く異なるように印象づけたい、という狙いはすごく伝わってきた。面白い試みだと思うし、すごく難しいことにチャレンジしているのはよくわかる。それに、第3回の伏線のまくり方はとても好きだ。個室やパソコンの手紙、なんてやりとりも回収された時はゾクゾクした。だけど、そこが結論として設定されすぎていて、結果的に他の回だけ見た場合「あれは一体何だったんだ?」のまま放置された部分があまりにも多いのは勿体無いと思う。

 

とても難易度の高いことを求めている自覚はあるけれど、各回だけでも成立していて、それでいて全部を通して見たら「ああ、そういうことだったのか」と理解できたり、作り手が何を表現したいのかが伝わってきたり、そういう舞台になったらもっと面白い気がする。

ガンガン伏線を回収して物語をまくってきた第3回も、いい話として着地させようという意図が透けて見えちゃうから、最後の謎の天国から来たっぽい、小2が書いたとはとても思えないお手紙でちょっと冷めてしまう。でも世の中にはハッピーエンドだけが見たい人もいるから、そもそもそういう人が対象の舞台でっせということなのかな…。

 

わたしは、美空がどちらかとくっついて、片方だけ思い出に置き去りにされてしまう結末も見たい。大地と美空が結婚して娘ができて、その娘が、昔海斗が書いていた日記を読んでしまったり、渋く歳を重ねた海斗に恋をしてしまうのもありきたりだけど見てみたい。

美空が認知症になるなら、たとえば美空を見つけた海斗が、何も覚えていない子どものような彼女に、自分が恋人だったのだと教え込んでしまう展開なんかも好きだ(「初めまして、大地、さん? わたし、海斗の恋人で、美空っていいます」とか挨拶された大地の絶望を想像するとウワァってなる)。別の恋人を作った美空を海斗が殺してしまって、大地のところに血だらけの美空を届けに来る展開もいいなあ。

あるいは、実の娘を喪った両親に海斗が無視されて、または美空として扱われて生きていたとしたら、なんて展開もありえる(一緒に見た友人は、海斗があれだけ長いこと幻想の世界に生きていたならあんな急に現実を受け入れられるわけがない、あの展開がループしていてほしい、と言っていた)。

 

恋愛、思いきりホラー、ちょっとグロテスクだったり逆にしんみり切なかったり、甘酸っぱかったり、せっかく3回×2で上演するなら全然違う色合いの結末に振ってみたら、もっともっといろんな味が出て楽しそうだなと思う。

 

ただ、これだけ好き勝手に言えるのは、わたしが何の責任もない、差し出されたものを受け取ればいいだけのお客さんだからです。作り手は常に様々な制約と葛藤の中で、磨り出すようにいいものを生み出そうとしてくださっていることは、忘れてはいけないと思っています。出来上がったものにあれこれケチをつける作業ほど簡単なことはない。

きっと回を重ねるごとに試行錯誤を繰り返しておられるんだろうから、もっともっと面白い舞台になっていったらいいなあと、勝手ながら思っています。

 

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会場近くの「壱番館」っていう喫茶店、コーヒーが本当に美味しかったのでおすすめしたい