立ち往生

基本的にネタバレに配慮していないのでご注意ください。

「BUSTAFELLOWS(バスタフェロウズ)」感想

「バスタフェロウズ」、よかった。すごくよかったです。個別ルート中は「終わりたくない」気持ちが強すぎて、途中で何度もシュウルートをプレイするという奇行に走ったんだけど、焼けた鉄を脳髄から流し込まれるような真相ルートを終えたら放心状態になってしまった。寝ても覚めても心がニューシーグの街並みに飛んでいく。伏線を綺麗に回収してくれる、と聞いてはいたけど、そんなことまで回収してくれなくてもよかった(褒めてます)。すごいゲームでした。忘れがたい1本です。

この作品は公式さんがネタバレへの配慮を明記しているのと、どうかネタバレを踏まず真相ルートでぶん殴られてほしいので、プレイ済みの方のみご覧ください。信じられないことに1万字超えてます。

 

(以下、ネタバレ含みます)

 

 

 

 

 

 

 

 

リンボ

オタク、悪徳弁護士(CV:KENN)だ~~いすき!! 人当たりは一見いいけど本音へのガードが固い、メイン看板に恥じない魅力的なキャラだった。「あ~~」って言い淀む時のKENN氏の演技が一級品なんですよね…。帰宅後、事務所が爆破されたことをみんなに問い詰められて、最初は「大丈夫大丈夫」って流そうとするけどついに「お前らに関係ない」って本音を剥き出しにするシーンが大好き。ナヴィードがなりふり構わなくなってからは、リンボ本人が勢いを失っていくのと反比例してベチカ様がガチ切れしていくのもポイント高いです。

「復讐する側・される側」「昔の知り合いが最初は友好的に出てくる・最初は敵対的に出てくる」と、シュウルートとの対称性が際立つ作りでしたね。徐々に違和感がにじみ出てくるナヴィードの言動に併せて、テウタの存在がいつの間にか大きくなっていたことが顕になっていく展開は美味しかった。リンボにとっての正義はナヴィードにとっての悪。すべてを救う正義はない。ナヴィードは圧倒的な悪役だったけど、立場が変わればリンボも彼と同じことをするわけで、バッドEDでその展開をトレースするだけじゃなく、グッドEDですらちゃんと言及させてしまう。そう簡単に断罪なんてさせねえよ、という開発陣の笑い声が聞こえるようです。

体が死ぬか心が死ぬか、どちらがマシなんだろうと考えさせられる2つのバッドEDは、もちろん心が死んで体は死ねないほうが大好物なので、際立った美しさに手が震えた。美しいものは容赦がないから美しいのだなと改めて実感する。リンボが泣きながら銃を突きつける背後でショパンノクターンが流れ出した時は背筋が泡立ちました。ピアノの前で二人でキャッキャするシーンはそういう意味で…ここでこう使うから入れられたのか……。救いがまるでないラストシーンまで、ひたすら静謐で美しい。鼻歌で終わる演出のエグみが最高潮で素晴らしい。ちなみにこのショパンノクターン第2番で用いられた変ホ長調は、残酷さや厳しさを表現するとも言われております。ヒェェ…制作陣 鬼?

 

割とポンポン何でも言い合えるリンボとテウタだったけど、肝心なところでは「言わない」「聞かない」のが正解なのは面白かった。二人とも自分の身勝手さにきちんと自覚的な描写がよかったし、後編は誠実に乙女ゲームしていたのが可愛くてモダモダした。口の周りをベタベタにしてチキンにかぶりつくテウタの愛しさったらない。

ホテルホールジーでのいたずら具合&大富豪ならではの解決っぷりには爆発した。惨劇の舞台にばっかりならなくてよかったねホテルホールジー! テウタちゃんは豪華な朝ごはんじゃなくてこのホテルごとねだってもすぐ買ってもらえると思います。実家もリッチで本人も弁護士で稼ぎまくっててスーツはちゃんとベストまで着てて、オフはTシャツに黒縁メガネって、リンボお前、乙女ゲーの攻略キャラかよ……(攻略キャラです)。

いつも余裕綽々な頭の良さと大胆さ、子どもっぽさが上手く同居していて、みんなに好かれているわけではないけど敵ばかりでもない描写がすごく自然なんですよね。ある部分ではとても人情派だし、自分の立ち位置や振る舞いに自覚的。わかりやすくわざとらしいエピソードではなく、言動でリンボの地頭の良さと冷静さをしっかり伝えてくれるシナリオが上手かったと思います。他キャラルートにも好きなシーンがいっぱいある。シュウに「携帯電話って知ってるか?」って説明するところとかいいよね。

リンボの代わりにちゃんとデートに付き合ってやるベチカ様もいいんだよな~。このシーンのベチカにときめくポイントは、リンボ本人がいないのでリンボを貶さないところと、テウタを口説かないところです。特定の女性とはニューイヤーズ・イブを過ごさないのに、大口スポンサーのパーティに遅れることがわかってまで面倒極まりないお願いを引き受けてやるくらいには二人のことを気に入っているのがね、言外に伝わるんですよね…。テウタが気に病まないようにしてやってるし、いい男だなベチカ様は。

 

全編通して言えることなんだけど、バスタフェロウズは、攻略キャラ以外はまじできちんと線を引いてくれるのが本当にいい。好きだけどルートにいるキャラのためにみんな我慢しているわけじゃなくて、恋愛的な興味は微塵もないんだろうなと垣間見えるのがいい。ここが蔑ろになると、全員での軽妙な掛け合いがただの逆ハーになってしまって「口でぎゃあぎゃあ罵り合いつつ互いがめちゃくちゃ信頼しあっている」という関係性の得難さが失われてしまう。ハリウッド映画さながらの皮肉の応酬というか、やりとりの切れ味とカッコよさを大事にしたいからこそ、ここまで共通ルートでキャラの関係性をじっくり読ませるわけだから、その部分に気を遣っていることが伝わってきて嬉しかったです。

 

 

 シュウ

こんにちは、余計なことばかり考えて尻込みしてしまう臆病な大人が、まっすぐ剛速球で切り込んでくるヒロインにグズグズになる展開大好きマンです。焦ると早口になる細谷佳正氏の神がかった演技のおかげで、非常においしく何度も床を転がれるルートでございました。なんて言っていいかわかんない。最高だった。そして可愛くて甘くて砂を吐きますが、砂と一緒にいろんなものを吐きそうな展開でした。ご存知ですか、バッドEDがよいゲームはいいゲームです。ご存知ですか。知ってますよね。だから1万文字くらいかけて語りたいわ、シュウのバッドEDのしんどさをヨォ。しんどいヨォ……。

 

裏社会で生きてきた自分の立ち位置をちゃんと分かっているから、何度も何度もテウタとの間に線を引こうとするのが愛おしくてならない。その告げ方も「淋しいと恋しいを勘違いすることはある」「ゆっくりでいいから、誰か他に好きになれるやつ探しな」と無鉄砲な子どもに諭すみたいに穏やかだから余計に刺さる。シュウがテウタに投げる眼差しの愛情深さったらない。

なんでも計算と予測を重ねて動くシュウはテウタを遠ざけようとするけれど、シミュレーションを軽々と越える彼女の直球さだけがシュウを救う。ヤンに取引を持ちかけられた後、シュウが口火を切れず、テウタが尋ねることでようやく「オレから言おうと思ってたんだけどな」と喋り始めるシーンがすごく印象的だった(ホテルで捕まった時「おいクロ、今すぐ通信を切ってトラッキングできないようにしろ。俺の無線機を今すぐ無効に」って早口で指示を出すのが好きすぎて10回くらい聞いた)。

 

ヤンがまた、ヤン、ヤンおまえ~~~CV小松昌平~~~~!!! 波止場でボソボソ語り合う二人の声音が穏やかでたまんねえな。「やってみろ。ハラワタ引きずり出してやる」的な丁々発止のやりとりも最高なんですけどね。お師さんの元にいた頃からこうやって会話をしていたのかな、と想像すると、この日までシュウに自分を憎ませたままでいたヤンの心情に気持ちが及んでどうしようもなくなる。

憎まれている限りはずっと繋がっていられるわけだ。実は肉親が存在しなかった絶望、シュウへの羨望、恋慕、そのシュウの母親を自分が奪った後悔と贖罪の念。暗殺稼業は肉体的に男性の方が有利な側面は必ずあるはずで、成長期にそこを歯がゆく感じ、シュウを羨んだ瞬間もあったはず(シュウは「ヤンの方ができるやつだった」と全然意識していない雰囲気なのがまた業が深い)。それでも断ち切れない。「家族っぽい」から。家族は面倒なものだ、という印象的なセリフが、ここでヤンにもかかってくるのだとは思わなかった。文化放送エクステンドは容赦がない。

二人は食事のとり方が似ているとテウタが感じて、考え方が似ているとリンボが言う。血の滲むような思いをして暗殺者として技術を高め、クローザーを始末するために生きてきた時間の中で、自分を追うシュウの存在を意識する時、ヤンは何を思っていたんだろう。シュウだって本当はヤンのせいじゃないと、ずっとどこかで知っていた。大事なことを口にしないのは似た者同士か。どうしようもなく家族だからわかることがあり、家族だからこそできないことがあり、ヤンはそれを知っていたから、テウタの前に現れたのだ。ヤン……雪だるま作るの手伝ってくれる優しいヤン…まじで心から幸せになってほしい。マテ茶ゆっくり飲んでくれよな。

 

もうとにかく焦る細谷氏の演技が最&高すぎて、テウタが攫われた時ヤンに「おい、スピーカーにしろ」と言われて「あ? なんで」って返すんですけど、この「あ? なんで」の言い方がアラーム音にしたいぐらい好き。たまらん。自分は普段どおり冷静に会話できてるつもりなのも、血管切れてる状態をヤンに見抜かれてるのもたまらん。シュウルートは合計4回プレイしたんですけど毎回新鮮に興奮しています。

「家族っぽい」テウタは、クローザーから見れば立派なシュウの弱点、シュウの家族以外の何物でもなかったんだよな~。だからテウタが小言を言えばタバコを止めようと努力してみるし、時間を戻ったテウタが警察署に現れた時、シュウは即断で信じた。最初は信頼も信用も1ミリもしてなかったのにね。あそこの「悩んでる暇はねえ、覚悟決めろ」って早口のやりとりもいいですよね。細谷氏の早口は国宝です。

テウタが捕まった時、ちゃんと顔やら腹やら、こっちがイテテ!となる勢いでえげつない殴られ方をしていたのはよかった。リアリティは細部に宿ります。こういう部分でぬるいと一気に興ざめするもんね。そうそう、シュウルートではちゃんと「時間を戻ったのに何もできなかった」描写があったのもいいなと思いました。時間巻き戻し能力については、時間遡行軍が聞いたら卒倒しそうな、割とご都合的な使われ方をしているんだけど、さらっとではあるが「自分に都合よく歴史を変えたことで、別の誰かの運命を変えてしまっている」と自覚させるシーンもちゃんと存在するので、ぬるっとした気持ちになりっぱなし、ということはなかった。まあその後も躊躇なくガンガン歴史を変えていくんですけどね…「善の裏は悪」ですからね。EDテーマ曲名であるところの「Beautiful evil within you」ってやつだ。洒落てんな~。

 

グッドEDと後日譚では、ちゃんと我慢できなくなったシュウが描かれててトテモヨキメッチャサイコウスバラシキなんだけど、「そういうことをする場所をちゃんと選びそう、シュウはそういうとこ気にしそう」と評したベチカ様が最強だった。だよね~~~テウタとの初めてはちゃんと気遣って綺麗なモーテル(でもモーテル。リンボと違って高級ホテルじゃない)とってあげそう~~~わかる!! 解釈の一致!!

そして問題のバッドEDなんですけど、わたしはこのバッドEDを見た時に、バスタフェロウズくん一生付いていくぜ…と空を仰ぎましたね。愛情も憎しみもない殺しは止められると信じて、「復讐の種を一粒も残さないため」にこそ血を浴びてきたシュウ。人を殺すことの重さをあれほど意識的に背負ってきた彼が、テウタを殺した相手にはっきりと「これは殺しじゃなく復讐だ」と告げる重大さにゾクゾクする。

いつかそのうち自分は死ぬのだろう、と人生に折り合いをつけていたはずの男が、死んだら許さないと言われたことに本気で困り、今、その相手の敵を討つためだけに生きている。その体に宿った冷たい炎の青白さを思うと……いや~、興奮で震えますね。生きていても死んでいても、シュウを生かすのはテウタなんだな~。復讐を遂げた後もシュウは簡単には死ねないんだろうし、また家族を失ったまま生きていくしかないんだろうと想像するとヨダレが出ます。えげつなくてやりきれない、素晴らしいバッドEDでした。

 

 

ヘルベチカ

サウリ先生絶対裏があるだろ、わかってんだよCV杉田智和、と内心でドつきながら進めていたけどそんなことなかったと思ったらやっぱりそんなことあったね?!!

5人の中で一番しんどい展開でしたね。攻略対象のヤク抜きする乙女ゲーって他にあんのか? 現在進行系のヤク抜きもさることながら、過去のヤク抜き映像を一緒に見させられるという前代未聞のイベントにはひっくり返った。みんなテウタちゃんに感情労働させすぎ。

それはともかく(ともかく?)、地獄への入り口が善意と無知でコーティングされている描写が結構しんどかった。具体的には、雑誌の編集者がヘルベチカへの相談なしに、勝手に次のインタビュー企画を取り付けてくるあたり。いわゆる押しつけの善意が根底にあって、失礼である自覚もないし、結果的に彼女の行動は坂道の上で背中を押すきっかけになってしまう。そして昔の仲間であるマグダは、自分の行動がヘルベチカを殺してしまうかもしれないという単純な事実にも思い当たらない。

 

薬を盛ったりしてるのに、ヘルベチカが倒れると「うそうそ、死んだら意味ない」と慌てるシーンは、マグダが長期的な視野を持つ人生を許されなかった人間なんだと実感して切なくなった。殴ったら傷つく、傷が深くなったら死ぬ、当たり前のことなのに、そんな簡単なことさえ想像できない、圧倒的な貧困。

こうすればヘルベチカは自分のところに戻ってくるだろう、という馬鹿げた期待は幼稚としか表現できない。だからこそ彼女は、サウリ先生に拾われず、学ぶことや知ることと無縁だった「ifもしも」のヘルベチカなのかもしれないと自然に思えて、情緒の乱高下がすごかった。令和の乙女ゲーは攻略対象が自分で自分の顔を燃やします。

 

他ルートでは強気なツンツンベチカ様だけど、自分のルートでは、聞きづらいこともガンガン聞いていくのが正解だし、周りの男どもを押しのけて情けない姿を受け止めるのが正解なのである。この選択肢配置にはニヤニヤしてしまった。可愛いな~。ヤク漬けにされて嘔吐してても美しいベチカ様。絶対自分では車を運転しないのも、らしくていいよね。

あと何度も出てくる「人は見た目が9割」をしっかりバッドEDで回収されるのも、みぞおちに入る結末でSwitch持ったまま転がりました。見た目が9割だから、すれ違ったことにヘルベチカは気づくけど、テウタの方は気づかず去っていく。もしかすると言葉を交わせば気づいてもらえたのかもしれない、けど、という余韻を残すあたりが本当によくできたバッドEDだと思います。

 

 

モズ

重いテーマながら、逃げずにひとつの答えを描ききったなという印象で、ストーリーとしてよくできていたなと思う。森久保さんボイスで出てきたので登場時から明らかに犯人だったトロイの動機がいまいちよくわからん問題とかまあツッコミどころは色々あるんだけども、生と死に関する部分は自然に読めたし、モズがたどり着いた答えには胸が熱くなった。姿を偽って潜み害を与える人間に「トロイ」って名付けるの、洒落てますね!

 

死に憧れ、死を知りたいと渇望するのは生きているからで、生きている限り死を本当に知ることはない。そういう意味ではモズもトロイも同じ土俵にいる。生きている限り人は罪深いのだろうし他人を断罪できる人はいない、という事実と、自分から妹を奪った人間を生涯許すことはない、という思いは両立する。善と悪が両立するのと同じことなんだなあ。ミイラのスチルが出てきてびっくりしたけど、もう大抵のことではそんなに驚かないよ文化放送エクステンドくん!

モズは何でも理屈で考える、シュウとはまた別の頭でっかちキャラだったので、初めて感情に振り回されて戸惑う様子が可愛くて童貞っぽくてよかったです(褒め言葉)。感謝祭のチキンを乾燥機に入れようとしたと聞いて「…信じられない」って呆れるセリフがすごく好き。

 

 

スケアクロウ

指の間から目を覗かせる立ち絵がめちゃくちゃ可愛いクロちゃん、白井悠介さんのコメディ演技が光り輝いてましたが、こちらもかなり辛辣な展開でしたね。他ルートでは他メンバーにすごく世話を焼いてくれるキャラクターな分、得体のしれない部分が垣間見えてきて、本人から距離を取っていく描写はじわじわしんどさが募りました。首しめ事件のあたりは、落ち着いて采配するリンボと、キレがちなシュウの対比がよかったですね。ちなみにタイトルにもなってる子守唄「sweet and low」は、船乗りである父親の帰りを待つ子どもに聞かせる子守唄なんだと知って内臓が出そうだった。船乗りなので海から戻ってくる……海からね…。

 

EDの分岐も「信じるか信じないか」で分かれてしまうのがつらい。クロちゃんを助けたいという願いは変わらないから、間違った方を選んでしまうテウタの気持ちもよくわかるのだ。「よくわからないけどクロちゃんを信じて意味のわからない選択肢を選ぶ」ことと「よくわからないから今最善だと思える選択肢を選ぶ」ことの間には大きな違いがない。クロちゃんの命がかかっていると知っていて、全く意味のわからない方に賭けるのは相当に勇気がいります。だから、その結果があのバッドEDに繋がると、再放送である分絶望感が嫌でも増す。ここでも差し込まれる「時間を戻っても結果が変わらない」無情さ。人の心がないシナリオですがわたしは大好きです。

スケアクロウ(カカシ)」って名前については、自分を大きく見せて虚勢を張って生きてきたことを思うと、うまいネーミングだな~と思います。

 

 

 

 

真相ルート

YABAI。ヤバイ。焼けた鉄を流し込まれるような展開とはこのことだ。えーーもう……ハァ……あの、OPはなんで石川界人さんが歌ってるのかな~って思ってたんですよ。アダムの体を借りて何度もご本人が作中で言われていますけど、別に歌得意じゃないでしょ? どうしてなのかな~と思っていたんですが謎はすべて解けました。ノヴァーリスだもんね。そりゃアダム以外に歌う人はいません。

共通ルートで、夢を叶えたテウタにアダムが青い花束を渡した時、自分の胸元にも青い花を差してるのが粋だなと思っていたんです。テウタが夢を叶えることはアダムの夢でもあるんだよってことでしょ? カーッ! あからさまに「僕もテウタが好きだったんだよ」って表現してこないのはいいなと思っていたんです。ベチカ様ルートでは、ルカと一緒に「僕らの失恋に乾杯」って笑うシーンはあるけど、リンボルートでは、リンボのためにドレスを選ぶテウタに付き合ったりしている。無粋なことは言わないのが好きなので、アダムの立ち位置はいいなと……いや、そういう話じゃなかった。そういう話じゃなかった……感想書いてるのに気が狂いそうで語彙が出てこねえ…。

 

そもそも狂気のアダム話に入る前に真相ルート前半「Full Circle」でしたたかに殴られるわけですよ。わたしは全く、まじで全く気づいていなかったので、パライソガレージの入り口で聞こえたアレックスの声に鳥肌が立ちました。一周回ってそういうことかよ……「Full Circle」ってネーミングまで回収してくるの すごない?

そこに気づくと、カルメンは何を思って「パライソガレージ(天国への車庫)」なんて名前を店につけたのか、とか、チェスゲームを始める際の定石が「ルイ・ロペス」なら、キングを取られた時点でゲームは終わっていたんだなあ、とか、縦横無尽に動ける最強の駒であるクイーンを持つのがサウリ教授であることの意味、とか、シュウのお師さんはたくさんいるポーンの1つにすぎなかったこと、とかとにかくいろんな思考が止まらなくなってしまう。なんて怖いゲームだ。

ここまでニューシーグの街のあり方がかなりリアルに描かれていた分、水槽から抜け出したいと渇望するも、どうにもならずあがくアレックスたちの気持ちはすごく臨場感があって恐ろしかった。シナリオの中で何度も何度も語られた「善と悪の曖昧さ」がしっかり効いている。アレックスはもちろんヴォンダだって完全に悪ではない、誰がどちらに転んでもおかしくない。プレイヤーの足元をも克明に照らすみたいで震え上がる。制作陣は誰も断罪させるつもりがない。

したり顔で人の批判をしている人間に鏡をつきつけるような鋭利な展開だけど、善悪の入り混じるドロドロした気持ちを飲み込みながらも歩こうとするカルメンの描写には救いが感じられて、なんだかホッとしてしまった。マグダもカルメンみたいな人に出会えていれば、もしかしたら違う人生を歩めていたのかな。人生の再放送はできないけれど、放送をやり直すことは、誰にでも、何度でもできるのかもしれないね。

 

そして打ちのめされた心を、真相ルート後半であるところの「Auld Lang Syne」でバチボコにされるわけですが、まず明かされる真実がエグい。ゾラの遺体を消したのがモズだったかも? とかそんなの瞬時に霞む勢いでエグい。この秘密を抱えたアダムとルカが、何年も何年も「ウチらの間に隠し事はなし」ってどんな気持ちで言ってたのかと思うと、つ、つれえ…。

「本当にゾラが生きていたのか?」と思わせておいて、それがアダムの幻覚だと徐々にわかってくる展開も凄まじすぎて背筋が凍る。最初は画面の周辺がぼやけている意味もわからないのに、別れ際に「それじゃプロムでね」とテウタに告げるセリフの奇妙さ、1人きりで喋っているスチル(ここにスチルがあるの、救いを残す気ゼロなのが明らかで清々しい)、これもしかしてアダムの幻覚なのでは…? と気づいた瞬間の空恐ろしさ、肺がぐっと重苦しくなるような感覚を、乙女ゲーで味わえるとは思いませんでした。

どこからがアダムの妄想で、どこからが現実なのか、テウタたちにもわからない、もちろんこちらもわからない。善悪に線が引けないのと同じ構図。そしてここに傍観者であるサウリ教授をぶっこんで、ルート分岐前の「誰もが悪く、誰も悪くない」選択肢から唯一漏れていた「見ているだけで何もしなかった第三者」という悪をもしっかり回収して突きつけてくる底意地の悪さ。し、しんど~~~好き~~~(大の字)

 

今がずっと続きますように、とアダムは願ったけれど、続くわけがないことは誰よりわかっていた。だから脳腫瘍の手術も受けなかったのかな。ままごとみたいに幼く尊い「金曜日の飲み会」が、きっと奇跡のようにキラキラした時間で、それだけがアダムを生かしていたんだろうと思うと、「Auld Lang Syne」は個別ルートの後っぽく、テウタが誰かと付き合ってる感じなのが余計にキツイ。

キャスターも辞めて、故郷でゆっくりできるのかな、テウタは空港まで見送ってくれるのかな…とか思いながら例のスチルを見ていたので、アダムがテウタの肩で眠る夢を見ているのだと気づいた時、シメられたカエルみたいな気持ちになった。よ、ようしゃ…Yousha ga nai しかもこのままエンディングに突入されたので本気で泣いてしまった。

昔を懐古するのは、二度と戻れないからじゃん…? ねえ。しかもプロデューサー・minetakaさんの訳詞で出てくる「大丈夫、僕らはいつまでも変わらない。こうしていつだって会えるでしょう?」「僕らはいつまでも変わらずにいられるから」って、原詞には存在しない歌詞なんですよね…(原詞ではただ過去を懐かしんで一緒に飲んでるだけ)。だからこれはアダムの思いなのだと思うと……アダムお前、毎週金曜日にどんな気持ちでグラスを傾けていたんじゃ…プレミアムフライデーどころの騒ぎじゃねえ…。

 

最後に「胸の中に燃える愛がある」と語るのを聞くと、夢と現実の曖昧な世界で、永遠の少年期を思うノヴァーリスの「青い花」が未完の物語であることが嫌でも臓腑に沁みる。手に入らない永遠の憧れであり、愛そのものである青い花はアダムにとってテウタであり、3人で過ごした過去の優しい思い出なんだなあ。だからOP曲はアダムが歌わなくては意味がなかったのか。こんなところまで残らず回収していく…文化放送エクステンドめ……(歯ぎしり)

そして最後のスチルで、しっかり「スタンド・バイ・ミー」オマージュみたいな絵をガツンと出して、少年期は終わったんだとこっちに突きつけてくる様はあっぱれだった。背中の絵面だけでも十二分にしんどいのに、更にアダムだけが1人で振り返って立ち止まるので、優しく微笑みながら立ち止まるので(2回言う)、わたしはもう血反吐を吐きながら泣き笑うしかなかった。

 

アダムが不幸に終わったと断言することは誰にもできないし、むしろ最後の瞬間まで幸せだったかもしれないとすら思える。それは、この結末がここまで徹底して善悪の垣根を取り外してきた制作陣の真摯なシナリオの上にあるからだし、これほど救いのない結末でも不思議な余韻が残るのは、彼らが確かにニューシーグという街で生きていた証拠のような気がするのだ。

彼らはゲームが終わった後もあの街で暮らし、善悪の間でもがきながら、わたしたちと同じように時を重ねていくんだろう。そう思わせてくれるゲームだった。

 

 

 

最後に

乙女ゲーの枠、もっと言うなら「テキストノベルアドベンチャー」の枠を越えようとする気概が随所から感じられるゲームだった。とにかくスチル差分を多く作って映像みたいにくるくる変えたり、1枚のスチル絵でもカットインの見せ方を工夫したり、車に乗るシーンで背景やキャラの組み合わせを変えてバリエーションを多くしたり、ゲームを平面でなく奥行きで捉えている感覚がすごく面白かった。

テロップに表示されていない後ろでキャラが喋っていたりすると、空間がぐんと広がって感じるというか、世界の息遣いが感じられる。二次元と三次元がリンクするような不思議な気持ちになるというか…痛快なハリウッド映画を見ている錯覚に陥ることもあった。

 

ものづくりって予算と時間、容量とか、たくさんの制限の中で進められるから、制作陣の情熱を傾ける部分はどうしても限定されると思う。そりゃ全部に等しく情熱を注げればいいけれど、大勢の人が関わる商売だからそうはいかない。綺麗なスチルとか豪華な声優さん、美麗な背景なんかの、いわゆる「わかりやすい」部分に注ぐのもひとつの選択だ。

この「バスタフェロウズ」は、制作陣が「新しい価値を作る」ことを大事にしている気がすごくして(想像で勝手に言ってますから念の為)、その挑戦する勢いとストイックさが、プレイしながらビシビシ伝わってきたのが本当に心地よかった。あなたたちがこのタイトルをどれだけ愛して、どれだけ情熱をこめて作ったか、ばっちり伝わりました、と言いたい気分。作ってくださって本当にありがとうございました。エピソードの合間に挟まれる予告とCV駒田航さんのタイトルコールも超カッコよかったなあ!! 駒田航さんの地下鉄アナウンスが聞けるのは「バスタフェロウズ」だけだよ!

 

ゲームは終わってしまったのに、彼らに会いたくて会いたくて、また起動してしまったりする。いつかニューシーグに行ってみたいな。