レインボーライブを見るか見ないかでキンプリは180度違う映画になる
キンプリは凄い。煌めきが凄い。けど、本当の凄さは、スピンオフ元のTVアニメ「プリティーリズム・レインボーライブ」を見ているかいないかで感じ方が180度変わる、というところにあった。今日はそのことを話したい。
もうさんざんいろんな所で語られているので今更ですが、キンプリとは、興行収入が2.5億円を超えたことで話題の「劇場版 KING OF PRISM by Pretty Rhythm」のことです。
キンプリを初めて見に行った
「キンプリがとにかく凄いから見に行ってくれ」と友人に言われ、どうせなら声を出して笑えるほうがいいなと思って応援上映を見に行った(今なら、なんだその動機はヒロ様に謝れハゲ野郎としか思えないのだけど、当時は無邪気にこう思っていた。無知ゆえである)。応援上映の熱気は凄まじくて、このために初めて買ったペンライトを振る興奮もあって、私はキンプリの煌めきにノックアウトされた。ストーリーは全然意味がわからなかったけど、そんなことは瑣末な問題だと思っていた。「こんなパラダァイス♡が世の中にあるんだ…」とね!!
初めての応援上映で隣りに座ったカップルのことを、私は未だによく覚えている。今回が7回目の応援上映らしい二人は、数本のペンライトを使いこなして声援を送りまくっていた。
二人はキンプリファンなんだとばかり思っていた私の認識が変わったのが、レインボーライブ*1に出てくる女の子たちが映るシーンで、そこまで比較的穏やかだったカップルの彼氏のほうが「なるちゃああああん!!!」と大声で叫び始めたのだ。女の子たちが映る回想シーンはすぐに終わるのだけど、彼氏の叫びから伝わる熱量が凄まじく、レインボーライブからのファンが送る声援の熱さが、自分の脳裏にくっきり刻まれた出来事だった。
そしてレインボーライブマラソンへ
翌日、世界が煌めいたことを友人に話すと、「オバレ*2エピソードだけでいいからレインボーライブも見たほうがいい」と言われた。彼女はオバレエピソードだけ見た結果、そんな抜粋視聴では満足できなくなり、レインボーライブを最初から見始めているらしい。
この時の私の心境を正直に書くけれど、「いや、言うても女児向けアニメでしょ? それに51話も見るのはキツイわ…。」だった。今ならこの時の自分を無限ハグしてやりたい。知らないのは君のせいじゃない。
けれど、オバレ結成エピソードには興味があったので、51話のうち、オバレエピソードと呼ばれる話数(合計8話くらい)だけ一気に見た。
見たら、どうなった?
全話見たくなった。
「冗談だろ?」と思われるかもしれない。でも本当に全話見たくなったのである。なぜか。オバレの3人は、TVアニメ本編において脇役でもなんでもなくて、がっつりメインキャラに絡んでくるので、見れば見るほどメインキャラが気になってくるのである。
抜粋視聴だと、美味しいとこどりというよりは「美味しいところが全然味わえていない」気分になる。こうして私はレインボーライブマラソンに突入した。*3
マラソン後に改めてキンプリを見に行った
レインボーライブは素晴らしいアニメで、女児向けだと侮っていた私の涙腺を何度も何度もタコ殴りにしてきた。子どもは大人が作った枠組みの中で生きていくしかない。大人は子どもに都合よく変わってなんてくれないし、とてもずるいし自分に甘い。その中でどう矜持を保つか。どう自我を張るか。どう生きていくのか。そんなリアルさが、ファンタジーチックな妥協なしに、正直エグいほどに描き切られていた。自分でもびっくりするぐらい泣きながら見ていた。
レインボーライブの感想はとんでもない量になりそうな予感しかしないので別記事で書く。とにかく私はマラソンを終えて、2度めの応援上映に向かった。ベルローズの3人*4が画面に映っただけで号泣する予感がひしひしとしていた。
ところがベルローズの3人どころか、オバレの3人が出てきた途端に、いきなり鼻の奥がツンとしてきた。特に3人が感動的なことを言っているわけではないけれど「この3人が、3人で、1つのユニットとしてライブをしている」という事実が、どれだけ凄いことなのかがわかるのである。どれほどの涙の上に、この3人のライブが存在するのか。声援を送りたい。だけど胸がいっぱいで声が出ない。
そしてタイトル画面に映る3人が実は手を固く繋いでいる(宣伝ポスターだと、3人の手は隠れていて見えない)ことがわかり、涙腺は早くも崩壊した。ここで私は「プリリズを見ているかいないかで、キンプリは全く違う映画になるんだ」とようやく悟る。
ひとつひとつの言動が堪える
とにかく「ここに至るまでにどれほどの出来事や葛藤があったのか」を知ると、ひとつひとつの言動が愛しくて切なくてどうしようもなくなってしまう。
せっかくオバレが結成されたのに、キンプリの中でオバレは解散し、コウジは電車でハリウッドに行ってしまう。コウジに言いたいことが溢れるほどあるだろうに「体に気をつけて」としか言えないヒロ様。ただ名前を呼んで追いかけることしかできないヒロ様。「行かないでくれ」も「さよなら」も、どちらも言えないし言いたくないことが痛いほどよくわかる。あの古いアパートを解約せずに3人で集まる場所として使っていたヒロ様のいじらしさで胸が千切れそうだ。
一方コウジは、ハリウッド出発前にシン君に個人レッスンをつける。その厳しさは、まるで「エーデルローズ*5の未来を君に託す」とでも言わんばかりだ。シンに「この歌、君にあげるよ」と手渡した曲は「Over the sunshine」。大切な人と出会えた喜びと、未来への希望にあふれたこの曲は、3人のユニット名にもかけてある。そんな大切な曲をシンに託すことの意味。
そして、あのコウジが(あのコウジが!涙)「プリズムショーはみんなを笑顔にする」と言う。そのための曲を「君にあげる」と言う。コウジを変えたのはヒロ様であり、カヅキであり、なるちゃんでありいとちゃんであり、レインボーライブの世界に生きるみんななのだ。
コウジから託された「Over the sunshine」を歌うシンの後ろで踊るヒロ様とカヅキ。ステージに、ヒロ様の隣にコウジはいない。でもヒロ様もカヅキも笑顔で歌う。3人は既に歩き出しているからだ。離れていても、心は繋がっているからだ。離れた場所で、ラジオから流れるライブを聞きながら、一緒に曲を口ずさむコウジ。こんなものを平静に見られるわけがなかった。箱ティッシュが必要だった。
「なるちゃああああん!!!」になった
レインボーライブの女の子たちが映るシーンは一瞬で、成長した彼女たちと、テレビアニメ時代の彼女たちがほんの少しだけ登場する。けれど、一瞬であろうがなんだろうが関係なかった。初回で隣りに座ったカップルのように、私も声を枯らして叫んだ。いろんなことがあったけれど、彼女たちは今も歌い続けているんだ。それだけで胸がいっぱいになる。
止まらない時間と未来
レインボーライブは、現実のえげつない部分を逃げずに描いた作品だなと感じたけれど、キンプリに漂う「変わらないものは存在しない」空気もまた、現実の残酷な部分をしっかり描いていると思う。
キンプリは、レインボーライブを見る前と後で、180度どころか360度まわって時空を超えて(by カヅキ先輩)印象を変える。もちろんレインボーライブなしでも「なんだかよくわからないけど凄く世界が煌めいて見える」と感じさせてくれる、ものすごい映画だけれど、それはたぶん勿体ないことだ。せっかくキンプリを見て、楽しいと思ったのなら、レインボーライブもきっと楽しめるんじゃないかと私は思う。
プリリズファンの皆様に心からの感謝と敬意を
キンプリを見てから「プリティーリズム・レインボーライブ」51話を完走するまでに、2週間しかかからなかった。これはひとえに、キンプリ、そしてレインボーライブという作品が持つ魅力のおかげだと思う。
私はキンプリが話題にならなければ劇場に見に行くこともなく、きっとレインボーライブにまでたどり着くこともなかった。キンプリが生まれ、これほど話題になったのは、菱田監督はじめスタッフの皆様の尽力の賜物だし、レインボーライブに声援を送り続けたファンの存在があったからなのは間違いない。
ものを作るためには、お金と声のどちらも必要だ。どちらかだけでは成り立たない。レインボーライブを応援し、きちんとお金を落とし続けたファンの方たちが、どんな思いでキンプリを見つめていたのかと思うと、面白半分で劇場に行った自分が恥ずかしくなる。
スタッフの皆様の並々ならぬ情熱とファンの熱意、そして何も知らない新参者を温かく受け入れる、ファンの懐の深さ。このどれが欠けても、たぶん今の状況にはなっていなかったんじゃないかと思う。
奇跡は起こる。世界はプリズムの煌めきに溢れている。一人でも多くの方が「劇場版 KING OF PRISM by Pretty Rhythm」、そして「プリティーリズム・レインボーライブ」を見てくださることを祈って。グンナイッ!
*1:キンプリのスピンオフ元アニメ「プリティーリズム・レインボーライブ」のこと
*2:ユニット「Over the Rainbow」のこと。キンプリは既にオバレが結成された後の話で、結成に至るまでのエピソードは、レインボーライブの中で描かれている
*3:レインボーライブのアニメ自体は20分程度しかないので、通常の30分枠アニメを51話見るよりは手軽だよ!にっこり!
*4:レインボーライブで主人公たちのライバルとして登場するチーム
*5:オバレやシンが所属する学校。経営が笑えるぐらいやばい